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- ドダウリ村住民のための支援事業
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- TIFAネパール自立会
- ネパールでの支援活動
- サナチェタナ小学校 支援プログラム
2015年11月28日
12:45分カトマンズ空港着。ネパール新政府へのインドの制裁でガソリン不足の報告を受けての旅ではあったがホテルまで車でスムーズに。寒さも感じられない午後。 温暖のせいかと。
11月29日
マオイストのストライキが朝あるという知らせ。心配したが、9:30amに解除。午後からサクー村の訓練センターへ車で現地スタッフ2人と行く。 道中でおどろいたのは、メインロードの片側はトラックなどの大型の車が乗り上げ、長い列を作っていた。 どの車にも運転手がいない! 2,3週間でも、待って、ガソリン販売を待つのだと。ガソリンは3,4倍に跳ね上がり、ヤミ商売が、動き出している。店の前には、LPガスを手に入れるため列ができているところが、あちこちに見られた。 今は、田舎の方が生活しやすいかも。 木切れやわらを燃やし火をつくるから。しかし、塩、油など不足しているという。 カトマンズから物品高騰のため、村へ入ってこないのだ。
センターの1室を借り、織機とミシンを置き、手狭であるが、作業している女性たちと再会。 古着とプラスチック容器を手渡し、名前を言い合い、お茶の時間とする。 今はダカ織に専念。ずいぶん技術が上がったと思える作品もある。薄暗い明りの中で笑顔がうれしい。別の部屋を借りている人たちにもプラスチックの容器をあげる。 目が喜んでいる。
11月30日
山間部に位置するウグラタラ中等校へジープでスタッフ入れ4人で出かける。石道を走るには、ジープの馬力が必要。1時間半ぐらい走り着く。校長、馴染みの先生の出迎え。授業中なので待つ。校庭は新しい校舎も増え、狭くなったよう。 カンティーン(食堂)があり、新築中の校舎の工事があり、なにかと活気ある風景。 幼小組が先生について並んで出てくる。 給食の前の手洗い。 以前と比べ、ずいぶん行きとどいた指導だと思う。 新築中の校舎(2クラス)はカトマンズからの国際グループの提供。土嚢のような砂袋を積み上げ、金網で固定、セメントで固め、塗装とか。すべて専門の建築家のアイディアと指示で動いていると2人の若者(オーストラリアとイギリス)が説明。地震に強いのだと言う。 給食の手伝いと先生方との話。里子さんとの面接をする。元気で安心。
12月1日
ハンディキャップ インターナショナルという事務所を訪問。バンコクからカトマンズまでのフライト内で知り合い、ぜひというお誘いのもと、実行。天気のいい中庭で、スタッフ2人から、この組織の説明を受ける。手術後の義手、義足を着けた人たちのケアー、リハビリ。器具のチェックも行う。ぜひ日本からボランティアでこの施設を訪ねてほしい。日本の技術も知りたいという要望あり。サクー村でも、必要あれば、施設を利用してくださいと言われたと現地スタッフはうれしい顔をする。午後はパタンあたりのダカ織ショップを見に出かける。 物も高騰しているから気をつけてとアドバイスあり。
12月2日
銀行へ出かける。 10000円が8550ルピー。 周辺でショッピング。 日本人女性の相談に乗る。現地NGOの人も加わり話し込む。
12月3日、4日
ポカラへ飛ぶ。フライトがスモッグ?のため1時間半遅れ。昼前に到着。晴れた、あたたかい日。 4日の朝、アンナプルナ連峰とマチャプチャラ(聖なる山と~)が目の前に現れる。感動。湖畔を散策、山を仰ぎ見、頭が下がる。
12月5日、6日
現地の知人から、今のネパールの状況を詳しく話してもらう。 小学校から要望あるフェンスの追加など、とにかく、この時期はそっと待ち、手近にあるもので、つくることを指示される。将来に向けサクー村のセンターをどのようなものにするか考える機会となり、ヒントとなる。
6日 サクー村センターとシティズ小学校を再度訪問。古着を持っていく。 サクー村のはずれにあるスバデラさんを訪問、ダカ織の相談をする。 彼女はサクー村の織子さんの指導者でもある。両親がティラトンという東北部のダカ織の村にいて、この土地で彼女は育ったとか。 ダカに関する興味わく。
12月7日 帰国の途につく。