まなぶ
ふれあう
ささえあう
国際協力
- アフガニスタン女性支援プログラム
- パタン・ブンガマティ プログラム
- Happy Girls Home 「子どもの家」
- ドダウリ村住民のための支援事業
- ネパール大地震 緊急支援活動 2015年4月~
- ウズベキスタン プログラム
- TIFAネパール自立会
- ネパールでの支援活動
- サナチェタナ小学校 支援プログラム
2017年2月19日(日)14:00~16:00 @国際交流センター2ABC
元在タンザニア日本大使館広報文化担当 木村映子さんから、『私が歩んで来た道~東アフリカ タンザニアとの出会い~』を開催しました。30名の参加がありました。
木村さんは開口一番「30年お世話になったタンザニア、お礼を込めてタンザニアのことをお話します」と真摯にお話されました。
東アフリカに位置するタンザニアの面積は日本の2.5倍、人口は5,200万人、国土の1/4を動物公園が占めていて、家の中にライオンが入ってくることもあるそうです。同じ東アフリカのケニアは資本主義、タンザニアは社会主義のため、ケニアに比べて国の発展が出遅れたそうです。身に巻く色鮮やかな腰布「カンガ」を何十枚も見せていただきました。カンガには「ことわざ」が書かれていて、例えば世界遺産のキリマンジャロのふもとにもう一つ小さな山がある柄は、山と山は出会えないが、足がある人と人は会うことができるなど、一つ一つ解説していただきました。
タンザニアの言語はスワヒリ語で、1億2,000万人ほどの人が使っている。mtoto=子ども、polepole=ゆっくり、maii=水、moto=火、tingatinga=絵など、心地よい発音にほっこり。文法も紹介いただきました。
タンザニアは、30年前から現在も、海や大きな湖があるにもかかわらず水が手に入りにくく、苦労している。道路が通らないため隣村にも行けないという過酷な事情が横たわっているが、タンザニアは人類発祥の地であり、有名な壁画も数多く残されているそうです。
首都はドドマで、商業の中心都市はインド洋に面したダルエスサラーム。明治維新の頃に津田梅子達エリート層の女性はアメリカ西海岸のサンフランシスコを目指して留学したが、九州天草の貧しい女性たちは東のタンザニアの港町にたどり着いてカラユキさんになったという現実。明治中ごろニチメン創設者の広岡信五郎氏はタンザニアとの交流を盛んにした。商船三井の船が月に1度港に立ち寄るので、現地の日本人は仕送りを船員に託したそうです。木村先生も2メートル四方の板のティンガティンガ(絵)を20枚日本に運んでもらったとのこと。
先生は母一人子一人という環境に育ち、日本にいるお母様が病気で倒れたとき、遠く離れたアフリカで暮らしている自分はこのまま働いていていいのだろうかと悩まれました。そんな時にアフリカの友人が「映子が一生懸命働いて得た収入が二人を助けてくれている。収入をお父さんだと思って、タンザニアの仕事を頑張りなさい」と言ってくれたそうです。そこで月に1度日本に帰国しながら仕事を続けられ、6年前に定年退職されました。
タンザニア人の思いは「世界は人だ」で、人付き合いが上手で洗練されていて、温かみがあり、いじめなんて考えられないとのこと。特に子どもにはスキンシップを大切にして、愛情いっぱいで育てるそうです。日本がなくしたものがタンザニアにはあるような気がします。最後に民族学博物館名誉教授の和田先生から、「1964年からのアフリカ探検の仕事もスワヒリ語の達人である木村さんのサポートのおかげでスムーズに進められました」との感謝のお言葉がありました。遠い地アフリカで勇敢に仕事に取り組んでこられた木村先生のお話を聞き、アフリカが身近に感じられ、大好きになりました。
木村先生から「スワヒリ語を一緒に勉強して、アフリカにご一緒しましょう」とメッセージをいただきました。ご興味のある方はぜひご一報ください。
12月10日(土)13:00~15:30、くらしかんのキッチンに於いて、「アフタヌーンティーとお話」を開催しました。講師はサパナでもお馴染みになりました、ソフィア・エルワリさんです。 22名の参加があり、サンドウィッチとスコーンをみんなで一緒に作りました。
今回のメニューは、クリスマスバージョンで考えていただきました。
報告と写真はこちらをご覧ください。
TIFAワールドクッカリー2016.12.10「アフタヌーンティーとお話」報告
12月9日(金)、去年に引き続き、豊中市立第13中学校の中学1年生5クラスに5名の講師を派遣し、国際理解教育プログラムをしました。講師は、ウズベキスタン、英国、ペルー、南スーダン、マレーシアとバラエティに富んだ国出身で、それぞれの国の文化や言葉などを紹介しました。
今回も、TIFAのキャンプでも活躍中してくれたアレックスさんなど、国際理解教育の講師は初めてという方もがんばってパワーポイントの資料作りや日本語の練習をしてきてくれました。ギターで自国の歌を演奏したり、民族衣装を持ってきてくれた講師もいて、どのクラスからも笑い声が聞こえてくる、充実した授業となったようです。
生徒達は去年同様、事前に班ごとに言語・文化などテーマごとにその国について調べて、講師もびっくりするくらい詳しくカラフルな壁新聞を作成していました。
また、質問タイムも積極的に手を挙げてくれ、講師と直接交流することによって、いろいろ感じてくれたようです。
豊中市立生活情報センター「くらしかん」にて(生活情報ひろば事業として開催)
講師:ソフィア・エルワリさん
報告はこちらをご覧ください。
TIFAワールドクッカリー「イギリスの家庭料理とお話」2016_7_9
【報告】TIFAセミナー
日時:2016年6月19日(土) 午後2時~4時
場所:とよなか男女共同参画推進センター「すてっぷ」 セミナー室1ABC
映像とお話:玉本英子さん(アジアプレスインターナショナル)
TIFAで何度か講演をお願いしている映像ジャーナリストの玉本英子さんが、シリア、イラクの現地取材から戻られたので、最新の映像を見せていただきながらお話しを聴きました。
海岸に流れ着いた子どもの遺体の衝撃的な写真が世界中にシリア難民問題を突きつけたが、どうして大挙して避難民となってヨーロッパに逃れようとしたのか、シリアのコバニでの状況から先ず話されました。
クルド人が多く住むコバニは、ISに侵攻されたがクルド人民組織が奪還。しかしISに包囲され、厳しい状態にあった。瓦礫と化した町には日常的にISのロケット弾攻撃があり、ISに対する米国など有志連合の空爆も続き、多くの人がトルコに逃げた。しかし仕事が無くたくさんの人がヨーロッパ、特にドイツへと向かった。
トルコに残った避難民ウバタくんの家に招待されたが、灯りが漏れると攻撃の対象になるので窓は全部ブロックで塞がれていた。子ども達はストレスが溜まるし、高等教育を受ける機会も無いため、シリアに戻りたいが戻れないと親は嘆く。結局、親戚のいる米国へ渡ったそうです。
次に、永年にわたり取材を続けているイラク、中でも北部のクルド系ヤズディ教徒が多く住むシンジャルの悲惨な状況を話されました。
ヤズディ教は独特の宗教で、2014年8月にISに侵攻され、イスラム教への改宗を拒んだ男達は虐殺、女性や子どもは奴隷としてIS支配地域に連れて行かれた。
19歳のイアンさんはお腹に2番目の子どもがいるにも拘わらず結婚させられた。助けもありうまく脱出、親戚と連絡できて今はドイツでメンタルケアを受け、ドイツ語学習に励んでいる。月1200ユーロの手当を貰っている。「何が悪いのか、誰に責任があるのか、こんな酷い目に合わせるなんて!」と怒りと悲しみを訴えられたそうです。
シンジャルは有志連合の空爆でISは撤退したがヤズディ教徒への支援は少なくなった。
ISが撤退しても、ファルージャのようにスンニ派とシーア派の宗派間の裏切り行為で容易に元通りにならない地域もあるということです。
たくさんの映像とお話の後、終わりに玉本さんは「遠い国のことで我々と関係ないと思わないで、他の国や地域の人達のことを考え、皆が心を寄せることが争いを防ぐきっかけになると思う。これからもこの地域の出来事を伝えるため身の安全を十分確保した上で取材を続ける。ただの知りたがり屋の行動ではないということを知って欲しい。」と結ばれました。
その後の質疑応答では、危険な所へ行く理由について「伝えなければならないことを伝えるため。20年間の取材を通じて現地に多くの友人がいる。十分な注意を怠らない。自分自身だったらどうするかと考えるためにも知ることが大切。」と、またイラクでの日本に対するイメージについては「日本企業へのイメージは良いがISのテロなどは自分たちのようなジャーナリストより駐在員や旅行者の方がより危険では?」など熱心なやり取りがありました。
なお、ヤズディ教徒の子どもの教育支援カンパには26,200円も集まり、「必ず届けます」ととても喜ばれていました。
閉会後の交流会にも18人もの方が残られ、さらに突っ込んだ話し合いがなされました。
数多く集まったアンケートにも知ることの大切さが書かれており、現地で取材し、そこで暮らす人々の生の声を伝える玉本さんのような活動は正に国際貢献だと思いました。現場でしか得られない情報を私たちに伝えて頂けることに感謝しています。(上田)