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TIFA セミナー「今、ミャンマーで起きていること ~なぜ市民に銃を向けるのか~」
2021年8月28日(土)に日本日本ビルマ救援センター(BRCJ)代表 中尾恵子さんをお迎えして、 2月にクーデターが起きたミヤンマーの現状についてお話しいただきました。
1988年の軍事政権による民主化運動弾圧をきっかけに設立されたBRCJで98年から代表を務める中尾さんには、2011年の民主化実現の際もお話していただきました。「再び民主化運動に関わり始めるとは思わなかった」という言葉で始まった今回のセミナーでは、以下の内容をお聞きしました。CDM支援については、BRCJとともに街頭募金活動を行っている学生団体「ミャンマー(ビルマ)の民主化を支援する関西学生ネットワーク」の同志社大学生の宮地さんが発表されました。
中尾さんは、タイ国境の難民キャンプを中心に、毎年現地を訪問。他団体等と連携しながら、衣服やメガネなどを届けたり、難民女性の手織布を使った商品の販売活動、ツアーの実施に加え、入管への面会、仮放免後の生活支援など在日ミャンマー人のサポートといった民主化支援を行ってきました。2/1のクーデター発生後はすぐに現地と連絡をとり、9日には日本政府にミャンマー総選挙の結果の尊重や国軍の弾圧停止と民主化促進のための措置を求める声明を出し、他団体と協力して外交努力を促す署名を集めたり、大阪や神戸、名古屋で開かれる在日ミャンマー人によるクーデター抗議集会・デモに参加したりしてきました。
セミナーの副題「なぜ市民に銃を向けるのか?」という疑問については、国軍は独立後70年以上ほぼ国民と闘い、長年政治にも関わり、90年代には持ち株会社を設立して独自の経済基盤も確立しているため、「国民は守るものではなく、従わせるもの」と考えているから、との説明がありました。
クーデター以降支援しているCDMとは、教員や医療者、銀行員、鉄道員など公務員が、軍事政権下の職務を拒否して抗議に参加する、非暴力の不服従運動です。中尾さんや宮地さんたちは、緊急事態宣言による中断もはさみながら大阪や京都で3月から10回の街頭募金活動を行い、彼らの1か月のお給料と同等の約8,000円を3か月間提供する’One to One CDM Campaign に100万円近くを集め、BRCJへの寄付は1,000万円を超えたそうです。募金活動を手伝いに来てくれたミヤンマー人留学生から総選挙に投票するために夜行バスで東京に行った話を聞いて、同世代の政治への熱い思いに刺激を受けたと話してくれました。
現在は非常事態に加えて国全体でコロナが蔓延し、市民は酸素ボンベを求めて駆けずり回っているそうです。また都市部での攻撃は多少落ち着いてきたものの、カレン州、カチン州といった少数民族が暮らす地域では、国軍の容赦ない空爆が行われており、BRCJは要請を受けて医療品や食料などを送りました。
一方、在日ミャンマー人についても、Facebook等でクーデターへの反対意見をアップすると帰国後逮捕される可能性があるため、パスポートや在留資格の更新の心配が出てきました。BRCJは相談者を難民問題に取り組む弁護士につないでいます。そんな中、5/28に出入国在留管理庁が在留希望者には在留や就労を認め、難民認定申請者の審査を迅速に行うなどの措置を出しました。翌日にはネット上で「やさしいにほんご」やビルマ語に訳した投稿など自発的な助け合いがあり、多くのビルマ人がこの情報を理解できました。
また、サッカーのピエリアンアウン選手がW杯予選でクーデターへの抗議を表明した際には、救出チームを結成し生活費の支援や激励会を開催。おかげで難民認定され、今は横浜のチームでプレーしています。
最後に、日本にいる私たちができることとしては、寄付、SNSを通じた応援メッセージの発信などとのこと。One to One CDM Campaignでは、在日ビルマ人デザインのかわいいグッズの販売もしています。
質疑応答では、国際社会及び日本政府への働きかけについて質問があり、国連などに軍政を認めないで欲しいといった署名するなどの行動も大切な支援だとの回答をいただきました。
参加者からは、「ニュース等では見ていても、よく知らなかったクーデターや難民のことがよくわかった。できる支援をしたい」との感想をたくさんいただき、セミナー終了後に募ったカンパも23,000円お渡しできました。